コラム:チーム作りに「相互理解」はいらない
こんにちは 株式会社リソースフルの中田明子です。
今日はオンラインで国立女性会館の男女共同参画に関するパネルディスカッションに視聴参加しました。
3人のパネラーの中に、地元、浜松市部長のお姿も。
「生理の貧困」や市役所職員の生理休暇の取りやすさへの取組みなど、浜松市の「リプロダクティブ・ヘルス」(=性と生殖に関する健康と権利)事業について、大変興味深く拝聴いたしました。
ここで気になったのが、浜松市の発表に対する参加者からの意見です。
要約すると、
「生理について、男性と話し合っても理解は期待できない。規則を作るべき」
ということでした。
確かに、生理に関する体調不良など、男性には本当に理解することは難しいでしょう。
もっと言うと、女性同士であっても個人差があるので、生理痛が軽い人は重い人の本当の辛さは理解できません。
更に言うと、家族であっても友人であっても、自分のことでさえも「本当に理解する」なんて無理なことだと感じています。
(「相手のことを完全に理解している」と思っている方が危険ですよね)
では、どうせ出来ないのだから、「本当に理解し合うこと」を目指して学んだり、話し合ったりすることは無駄なことなのでしょうか?
規則を作れば、その組織は上手く行くのでしょうか?
勿論そうではありません。
学んだり、話し合ったりすることの意味、それは
「自分には理解出来ていないことがある」
ということを「知る」ためだと私は考えます。
生理痛など、女性特有の辛さは勿論、男性特有の大変さもあるでしょう。
育児中、障がい、持病など、一人一人の状況に応じた、様々な問題もあることでしょう。
性別や国籍や職種や年齢・・多様な人々が組織でまとまるために、全員が「理解し合う」ことはかなり難しいと感じます。
それでも、
「自分には理解できないけれど、こういう問題を抱えている人がいる」
と「知る」機会が増えると、
「自分は気づいていないだけで、相手は何か問題を抱えているかもしれない」
と、相手の背景に思いを馳せる姿勢が段々と身についていきます。
これは、いわゆる「思いやり」とも違います。
「あの人は〇〇だから△△してあげよう」
というのは、相手のことを分かっている、こうして欲しいはずだ、という決めつけでもあります。
(いわゆる「育児中の女性に重要な仕事を任せない」問題と同じです。)
「相手の背景に思いを馳せる」というのは、
「自分は相手のことを全て理解しているわけではない」
という大前提があるので、相手のことを知ろう、話を聴こうという行動に繋がります。
これが、ダイバーシティ・チームビルディングには最も重要な視点です。
「本当に理解し合えているわけではないけれど、常に、相手の背景に思いを馳せられている状態」
この状態がメンバーの「基本姿勢」となれば、気づかずに誰かの問題を見過ごしたり、決めつけによって見当違いの「親切」を振りかざすことが随分減るのではないでしょうか。
だから、チーム作りに本当に必要なのは「相互理解」ではありません。
必要なのは、「相互理解」ではなく、「理解しようとする姿勢」ですね!
私もこうしてアンコンシャス・バイアスや組織作りについて教えたりしていますが、「本当に理解している」と思ったら最後です。
世の中分からないことだらけ。
だからこそ、常に相手の話に耳を傾けたり、学び続けたりしていきたいと感じています。